蒔絵師として生計を立てるのは非常に困難です。くじけそうになります。というかくじけました。
といっても、15年位前ですが・・・・、
 20歳代では蒔絵作品は足元を見られ、正当な値段で買って貰えないのです。
自然生活も苦しくなる・・・・・・・・。
 先が見えない、叩かれてしか買ってもらえない、孤独な仕事だ・・・・・・。
などが理由でその時趣味だった手打ち蕎麦屋を始めたのでした。(結局1年でお店の権利を奪われ蒔絵師としての意志が固まったのですが)
 お店は岐阜県の谷汲山華厳寺(西国三十三ヵ所第三十三番札所)の参道で週末は人で賑わっていました。
21,8,16蕎麦道場 (7) 我流で始めた手打ち蕎麦屋、不安よりもやるしかないと追い詰められた状況と若さでホイホイとやってました。参道を歩く人達は、
「あっ、あそこで手打ち蕎麦やってる。帰りに食べて帰ろう」てな訳で、結構お客さんが来まして、
おまけに皆さん「美味しい、また来るね」と言って去っていくのです。
 私の心には、ホンワカと温かいものが残り、自然と自信に変わっていったのでした。
今でも覚えています、年末の年越し蕎麦の時は、初詣客も重なり1000食位さばいたと思います。
最後のほうは、具がなくなり、「具無しでもいいですか?」てな具合で、本当の蕎麦だけでした。
 お店を奪われなかったら、今もお蕎麦屋さんをしています。なぜって?儲かったんですもん。

 それがですよ、東京にスタジオを構えてから知ったのですが、東京の方はお蕎麦大好きなんです、
よく蕎麦の話題になるんです。どこが美味しいとか、こうでないと、とか。
 私?打てますよ、蕎麦。昔お蕎麦屋さんしてましたから・・・・・。食べてみる?打ってみる? てな調子ですよ。
21712e8958ee9baa6e68993e381a1-11

 それが高じて、手打ち蕎麦道場なんかもやります。
蒔絵師ですがある時は蕎麦職人なんです。
 仲間を集めて、蕎麦打ちを伝授するのです。お蕎麦は人を幸せにしますね。
・・・・・・という事で仲間に伝授しました。
 年末には年越し蕎麦打ち大会を目指して。
 by祥幹

 

2009年9月20日